開発ストーリー
開発期間とコストを削減できる「計算科学」のチカラ

開発期間とコストを削減できる「計算科学」のチカラ


2024年10月に発表されたノーベル自然科学3賞のうち、物理学賞と化学賞はAI分野で機械学習の基礎にかかわった研究者が受賞した。

私たちの生活を根底から変えようとしているAIは、現実世界にある大量のデータを分析して、予測や判断を行う。しかし、AIが出した解は人間による検証が欠かせない。現状のAIはまだ、万能とは言えないからだ。

一方、AIとはまったく異なるアプローチで、科学の深部に迫る分野がある。

科学の法則に基づいたデータや計算式を用いて、ミクロな世界をシミュレーションする「計算科学」だ。分子レベルのメカニズム解明に挑む富士電機・計算科学チームの3人に話を聞いた。

70年余の課題を計算科学が解明

富士電機は、クリーンエネルギーの主流化を提供価値に掲げており、再生可能エネルギーの一つである地熱発電には、1960年代から携わってきた。地熱発電に使われる蒸気タービンでは、2000年以降のシェア約40%と世界トップ。国内外への90台近い地熱蒸気タービンの納入に加え、地熱プラント全体のエンジニアリングも手掛けてきた。

その地熱発電は1950年代から、「シリカスケール」に悩まされ続けてきた。

シリカスケールは、水分中の二酸化ケイ素を主成分とする水あかの一種で、水分が蒸発した際などにミネラル分だけが残留することで発生する。窓や洗面台の鏡などに、水で濡らすと消え、乾くと現れる、あの白いモヤモヤだ。

地熱発電所では、地中にある高温・高圧の熱水や蒸気を取り出し発電するが、それらを通すパイプの内部にシリカスケールが付着して、パイプを詰まらせていた。しかし、これまで、誰も抜本的な解決策を見いだせず、いかにシリカスケールの量を抑制できるかに知恵を注いできた。

その70年余も引きずってきた課題に対し、富士電機の計算科学チームは2023年、発生メカニズムを解明した。

パソコンの中が実験室に

計算科学は、電子顕微鏡を使い分子そのものを見て判断する「分析」や、さまざまな素材を掛け合わせて結果を得る「実験」とは異なり、コンピューター内の三次元空間で分子レベルの「模擬実験」を行うもの。計算は科学法則に基づいてコンピューターが処理する。

シミュレーション画面例「水中でのシリカスケール生成」
シミュレーション画面例「水中でのシリカスケール生成」
富士電機 計算科学チームの岡田
富士電機 計算科学チームの岡田

富士電機に2011年に入社した計算科学チームの岡田は「自分で仮説をつくった後、パソコンでシミュレーションを行い、事業部に検証結果と改善策を提案することで、製品開発にも貢献しています。例えば『この材料は熱に弱い』という材料の性質が事前にわかっていれば、事業部が実施する実験や試作の回数をぐんと減らすことができます」と話す。

計算科学を用いれば、開発期間が短縮され、同時に開発コストも削減される。材料の劣化や不純物が生成されるメカニズムなど、製品にとって「問題になる化学反応」も予測できるので、製品の長寿命化や品質向上にもつなげられる。

実験の限界を計算科学で突破

富士電機 計算科学チームの姜
富士電機 計算科学チームの姜

計算科学チームがある分析・解析研究部は、脱炭素や循環型社会の実現を目指し、富士電機全体のあらゆる材料の分析・解析や、製品の改善提案をすることで、研究開発を加速させる役割を担う。

冒頭のシリカスケールの場合は、地熱発電を担当する部署から依頼があり、計算科学チームが生成メカニズムを解明。これをきっかけに、解決のアイデアが生まれている。

化学分野の大学教員を経て、2021年にキャリア入社した姜は「社会課題の解決に直結する仕事は毎日刺激的です」としたうえで、こう話す。

「実験と計算科学には、それぞれ得意分野と限界があります。シリカスケールの問題は、実験が限界に達して行き詰まっていた。そこに、私たちが計算科学の目線で参加したことで、発生に至るまでの『予測式』を作ることができた。計算科学は、見えないものを見えるようにする科学なんです」

計算科学がリードして脱炭素に貢献したい

富士電機 計算科学チームの佐伯
富士電機 計算科学チームの佐伯

科学法則に基づく計算科学でも、人間の予想を超える解が出ることがある。
2021年に自動車メーカーから転職し、岡田、姜とともに、計算科学に取り組む佐伯はこう話す。

「まれですが、『こんな化学反応が起こるはずがない』と思うような結果が出ることがあります。データの解釈に悩んだときは、論文を読んで情報を収集したり、共同研究先の先生にお話をうかがったりして、理解するようにしています」(佐伯)

姜も佐伯の話にうなずきながら、「事業部から『製品不良の原因がわからない』と相談を受けると、私たちは計算科学の観点から解決策を提案します。けれども、たいてい『え、本当にうまくいくの?』って聞き返されるんです。『大丈夫ですよ』と答えつつ、実際に結果が出るまでは、毎回ドキドキしてしまいます」と話した。

未経験者にもオープンな計算科学

岡田は、大学で有機合成、大学院では分子イメージングについて研究した。入社後はセンサの開発などに携わった。2019年に現在の部署に異動し、初めて計算科学に触れた。

「計算科学は新しい研究領域です。社内にもエキスパートは少ないので、本や外部セミナー、社内の研修などで必死に勉強しました。努力さえすれば、未経験の人にも門戸が開かれている。今なら、元大学の先生(姜さん)に教えてもらうこともできますし」(岡田)

自宅から会社のパソコンにつなげば、計算機にアクセスできるため、二人の子を持つ岡田は、在宅勤務を活用しながら、ミクロの世界の解明に当たっている。

計算科学チームには現在6人が在籍している。うち、1人は計算科学の研究が進んでいるオーストリア・ウィーン工科大学に留学中だ。

姜(左)、岡田(中央)、佐伯(右)

学生に向けて、3人にメッセージを書いてもらった。
質実剛健と書いた姜(左)は「大学時代からお世話になっている先生にいただいた言葉。計算科学はまじめに確実に積み上げていくことが大切」と話す。岡田(中央)は「自分が想像した以上に、意外な気づきやおもしろみの発見につながる」。佐伯(右)は「緊張しすぎると、よいアイデアが浮かばない。難しい分野に挑むからこそ心がけたいことです」と話した。

計算科学のチカラを新発見につなげるために

科学の法則に基づく計算科学は、究極には「世の中のすべてのことを予測できるようになる」とも言われている。

佐伯は「計算科学は、電子顕微鏡でも見られない原子の動きなどの化学反応をシミュレーションできるのがおもしろいところ。今後もミクロの世界の解明を進めていきたい」と話し、姜は「計算科学を材料開発や製品の長寿命化に役立つ『製品パッケージ』として売り出したい」と話す。

また、AIと組み合わせることで、計算科学の領域をさらに広げる研究も始まっている。岡田は「いろんな分野出身の人に計算科学の世界に入ってきてもらいたい」と言う。

AIだけではない。計算科学のチカラが新たな発見につながっていく。